ゲームについて思う、今日この頃 #005

ゲハをみていて、任天堂に対してたとえばE3に参加する
ものの恒例のカンファレンスには参加しないとか、スタ
ンダードとなりつつあるゲーム機の高性能路線とは異な
る独自の路線を開拓する姿勢に良しと思わない人たちに
「そこは、空気を読めよ。」的なものを感じます。
別に良しと思わないのなら放っておけばいいものの、な
ぜそこまで執着するのかは裏返しの愛情かも知れません
し、単なる寄らば大樹の陰かも知れません。

ま、それは置いといて、
この頃はこんなことを考えるようになってきました。

任天堂は京都のメーカー”

それ、当たり前過ぎやろ。
と普通ならツッコミにさえならないでしょう。
ですが、ここでは
”(日本の)京都”ではなくて、
”(世界の)京都”という意味です。
そこは何が違うのでしょうか。
由来の真偽は不明ですが天に任せるという会社名に、
横井軍平さん以来の「枯れた技術の水平思考」イズム。
そうした考え方はおそらく京都という風土から生まれた
のではないかと思います。会社に人格があるとしたら、
まちがいなく任天堂は生粋の京都人でしょう。
(現社長の岩田さんは京都の人ではありませんが、前社
長の山内さん、横井さん、宮本さんなど京都生まれや京
都に縁のある人が現在の任天堂を形作ってきましたし)
そしてその人格のような京都的なものが日本だけでなく、
世界中で受け入れられている事実。

ボクは京都の人間ではないので見当違いかも知れません
が「ウチはウチで考えがありますよって…」と、
失敗も成功も含めたこれまでのゲームのハードやソフト
に対する考え方や今回のE3のカンファレンス、世界中の
コアなゲームユーザーの空気さえも過剰には反応しない、
我が道を行くマイペースな所に任天堂の京都人的な個性
を感じてしまう、今日この頃です。